
金曜日の午後、まだ勤務時間中だというのに、ふたりはグーグルで会社の帰りに寄れそうな呑み屋を検索していた。ふたりとももうとっくに定年を過ぎた再就職組で、学生アルバイト並みの安い賃金で働いていた。最近仕事の量が少なく、暇をもてあまして、少し落ち込んでいた。
ふたりは終業時刻の午後5時ぴったりに会社を出て、グーグルで見つけた居酒屋に向かった。歩いている途中、暗くてちょっと人気(ひとけ)のない場所に、小さな赤ちょうちんを発見した。「いなりや」とある。グーグルには無かった場所だ。暖簾をかきわけガラス戸越しに店の中を覗いて見ると、カウンターがあって、棚には何十種類もの日本酒が所狭しと並んでいた。おあつらえ向きの場所だ。店を変更してそこの居酒屋に入った。
40歳半ばくらいの夫婦がやっている店だった。カウンターに腰かけると「コ~ン晩は、いらっしゃいませ」と綺麗なおかみさんが声をかけた。メニューはなぜか木の実が多かったが安くてとてもうまかった。料理をしている主人から「うちは天然の食材をつかっているから、安全で栄養価もたかくてうまいよっ」と調子の良い宣伝があった。さっぱりした味のお酒もおいしかった。ここいらではめずらしいウサギの肉の竜田揚げが出た。ふたりは定年後いかに生きるべきかについて、熱く語り合うと、希望が沸いてきてだんだん楽しくなって、ついつい酒が進んだ。久しぶりにたくさん呑んだ。いよいよ酩酊してきたところで、最後の仕上げにと、この店の名物だと言うきつねうどんを食べた。そのあと、おかみさんから「コ~ンどまた来てね~」と言う透き通った声を聞いたところで記憶は途絶えた。支払いを済ませたかどうかも定かでない。
翌朝、寒くて目がさめると二人は広い原っぱで寝ころんでいた。朝日が何条にもなって落ちてくる森の奥でカラスが鳴いていた。たぶん飲み過ぎて、家に帰れずに寝てしまったのだろうと思った。昨晩はかなり酔っぱらっていたが、ふたりともなぜか二日酔いはしていなかった。
「それにしても昨日の店はうまかったね」
「店の主人もおかみも感じがよかったしな」
「うん、安くていい店だった。また行こうや」
「さ、帰るか」
ふたりともさわやかな気分で草のベッドから立ち上がり、元気に歩き出した。
立ち去るふたりの後ろ姿を、狐の顔をした大きな石が二つ、嬉しそうに見つめていた。