舞岡公園を歩く >写真の構図

 ここに古い一冊の本がある。 「新しい写真術」(1955年発行、\90 名取洋之助著)には、写真の構図について以下のように述べられている。写真の基本的構図については、黄金分割、対角線構図など教科書にいくらでも載っているが、構図がすべてではないと言うこと。とても興味深いのでここで紹介する。

「アマチュア写真家の中には、写真とはそれで美しいものを創るのだと思っている人たちもいる」---P.7

 似たような事は、写真関係の他の著名な人たちも言っている。写真を撮る時に「あまり芸術性に囚われるな」と言う人もいる。写真本来の良さは芸術性だけではない。写真には、記録性、真実性、伝達性(コミュニケーション)あり、これらが写真を特徴づけているのであって、芸術だけが目的ではない。それを忘れると写真でなく絵画のようになってしまう。「この写真、絵のように美しね」と言う人は、潜在的に絵の方が写真より美しいと思っているからこのような言葉が出るのであり、「絵のような写真を撮りたい」と思っている限り写真は絵を超えることができないのである。この事を前提に、以下、構図について。

「構図とは定められた範囲の中における配置であって、これはキャンバスという定められた面の中に、いかに絵を描くかというところから起って来た。ところが写真は絵とは全然反対に、現実にある世界の、どこかの一部分をとってくるものである」---P.47

「一枚の写真を「絵」にしようと上下左右を気にしながら切って(トリミングして)行くと、まとまればまとまるだけ死んだ写真になることは誰でも経験することだ」---P.52

「現在の写真は絵画的な構図から離れようとしている。今まで言われているまとまりを無くす、不安定への一歩手前が魅力で大事なのである」---P.52

「絵画の構図は、長い時間をかけて、自分の思うように作れるものだが、写真の構図は、一般的に言えば、短い時間に見つける即興的なものだ。私たちは写真を写す場合、幸いに自分の好む構図を見つけるか、それとも構図ということは放棄して写す以外にないのである」---P.58

「私達は、写真一枚の絵としてでなく、現実の一部として見たい、見せたい。そういう感じを起させる構図を欲する。不安定な構図、定型でない構図により現実的なものを感じるのが現在の写真のもっとも写真的な発見であり、特徴であろう」---P63

「絵画の歴史は古く、私達は長い間絵画に親しんで来た。その習慣で、写真に対しても習い覚えた絵画の見かたで対するようになっていた。そのため説明的、報道的な写真を見る場合にも、どうしても絵画によって訓練された見方で見る。絵画の美学で写真を批判してしまうのである」---P.65

名取 洋之助(1910年9月3日 - 1962年11月23日):ドイツ、アメリカで活躍し、日本において写真界をリードした日本を代表するフォトジャーナリスト。
関連書籍:「写真の読み方」名取洋之助著、岩波新書、740円、
「わがままいっぱい名取洋之助」三神真彦著、筑摩文庫、1000円

ルリ
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